Missing

さみしい? (旧サイト公開作の再掲)

「また……どっか行くん?」

泊まることになってもいいように、と。
いつものバッグに必要最低限の荷物を詰め込んでいると、そんな声が降ってきた。
いったん手を止めて、声の主を見上げる。
普段とは逆の角度から見るそのくちびるは、ほんの少しだけ、つまらなそうにとがっていた。

「あぁ。ちょっとな」

それだけ言うと、すぐにバッグへと視線を戻して作業をつづける。

財布入れた。ケータイ入れた。
えーとあとは……

「ちょっと、ってどれくらい?」

大きなバッグを挟んで目の前に座り込んだ和葉が、窺うように首を傾げた。
おそらく、平次を誘ってどこかへ出かけるつもりだったのだろう。
その肩には、そういった場合に和葉が好んで用いるバッグが提げられていて、心なしか、いい匂いもした。

「なんや、寂しいんか?」

ちくりと胸に走った罪悪感に知らないふりをして笑いかける。と、すぐさま「そんなんちゃう」と顔を背けられた。
相変わらずな反応に、思わず平次の口元がゆるむ。

もう、二人の間では定番になったやりとりだった。
和葉は絶対に、寂しいとかそんな理由で平次を引き止めたりはしない。
平次を困らすのがイヤなのか、あるいは意地っぱりを地でいく性格のせいなのかもしれないが、ただの幼馴染だった昔も、そこから抜け出した今も。
和葉のこんなところは変わらなかった。

よそにいったまま、なかなか戻ってこない和葉の顔を眺めながら、平次はふっと息を漏らす。

―――まぁな。
毎度毎度、さみしい、とか。行かんといて、とか。そんなん言われるのは勘弁やけど。
たまには、かわいく引き止めて欲しいもんやで。
……っちゅうても行くのは変わらへんのやけど。

自分勝手な考えに苦笑いをして、平次の視線は再び和葉をとらえる。

「ほんなら、行ってくるな」

荷物を詰め終え、そう言って立ち上がると、くいっと上着の裾を引っ張られた。
ん? と目で聞き返すと、和葉の瞳がふらりと揺れる。

「何や?」
「あ…えっと……」

それだけ言うと、和葉はうつむいたまま黙ってしまった。
とはいえ平次の上着の裾は相変わらず和葉の掌に囚われていて、それはほんの申し訳程度の力加減なのだけれど、なぜだか平次にはふりほどくことが出来ない。

……もしかして、引き止められてるんやろか。

そんな甘い期待が平次に芽生えるのと、意を決したように和葉が顔を上げるのとが同時だった。

「上着、これよりあっちの方がええんちゃうかな」
「は?」

予想外のセリフに、間の抜けた声が出る。

「これより、あっちの白い上着の方がズボンと合うよ」

そう言って、手放された裾。
何となく拍子抜けした思いで解放されたそれを眺めていると、「はい」という声とともに白い上着が目の前に差し出された。

これまでの経験上、洋服に関しては和葉のアドバイスに従った方がいいと分かっているので、言われるがままにそれを受け取る。
とはいえ、何か、おもしろくない。
肩透かしをくらったような、そんな気分だった。
和葉の行動を曲解しただけなのだが、一度過ぎった甘い期待が平次の心の底で疼く。

「……ほなな」

無言のまま上着を身につけ終えると、それだけ告げてドアノブを回した。
平次のまわりに漂う少し不穏な空気に気付いているのか、背後からの行ってらっしゃいの声は、いつもより控えめだった。振り向きもせず、片手をあげてそれに応える。

部屋から出た途端、溜息が漏れた。

なにしてんのやろ、オレ……

今しがた閉めたドアに背中を預け、廊下の天井を仰ぐ。
子供っぽいな、と思う。
引き止められたら困るくせに。引き止められたところで行くのをやめはしないくせに。
それでも、引き止めて欲しい。

要は、ただの自己満足だ。

自分がいないと、和葉は寂しい。
そのことを、目に見える形で確かめたいだけなのだ。

「あ……」

無意識に上着のポケットに忍ばせた手。
その先に、あるべき物がなかった。
一瞬頭の中にハテナが浮かぶが、すぐに理由に辿り着いてほっと安堵する。

――― ったく。
アイツのせいで忘れるとこだったやないかい。

心の中でつぶやいて、平次は背中を預けていた部屋のドアノブに手をかけた。開けた瞬間、びっくりしたような和葉と目が合う。
その腕の中に、先ほど脱いだ平次の上着があった。

「ちゃ、ちゃうねん!!」

いきなり和葉があげた切羽詰ったような声。
一体何をそんなに慌てているのか、上着を抱えたまま、ズルズルと後ずさる。

どないしたんや、こいつ?

みるみるうちに真っ赤になっていく和葉の頬を眺めつつ。
訳が分からない平次が口を開こうとした途端、和葉がぶるんぶるんと首を左右に振った。

「ホンマにちゃうの! た、ただ……平次の上着、ハ、ハンガーにかけとこ、思て、それで……」

だんだん勢いをなくしていく和葉の言葉。
それと反比例して、上着を握り締める和葉の力は強くなっていった。そこに刻まれる皺を見ながら、先程しぼんだはずの甘い期待が再び膨らみはじめる。
期待というより確信だった。
恥ずかしさに堪えられないのか、うつむいて壁際で小さくなってる和葉に近づくと、平次はそのすぐ前に屈み込む。

「和葉」

絶対に聞こえているはずなのに、和葉は顔を上げない。
しかし、その朱に染まった耳をみるだけで今どんな顔をしているのかは明らかだった。

「それ、返してくれへんか」

おそるおそる、といった様子で和葉が腕の力を緩める。
平次の顔を見ないまま差し出された上着。
本当は上着ではなくそれを掴む細い手首に触れたかったのだが、とりあえず堪えて上着の内ポケットを探る。
すると、何をしているのか気になったのか、和葉がこちらを見ていた。

「あ……」
「お前が着替えろとか言うから、忘れてまうとこやったわ」

ポケットから出てきた平次の手にあったものを見て、和葉の頬が嬉しそうに緩む。
それにつられて緩みそうになる頬を引き締めて、用無しになった上着を脇に追いやると、平次はおもむろに両腕を広げてみせた。
その不可解な行動に、和葉の顔に疑問符が浮かぶ。

「何してるん?」
「せっかく本物がおるんやから、本物抱きしめさせたろ思て」

ほれ、と平次がせかすように腕を突き出すと、一瞬ぽかんと口を開けたあとで、ものの見事に和葉の頬が赤く染まった。
ようやくさっきの火照りがおさまったところだったのに。

……こいつの頬っぺたも忙しいなぁ。

「な、せ、せやからちゃう言うてるやん! ア、アタシはた、ただハンガーに……!」

そんな顔でそんなことを言われても、正直言って説得力なんてまるでない。
懲りずに必死な様子で弁明をつづける和葉に、へーへーと平次が適当に相槌をうっていると、その声は尻すぼみに小さくなっていった。

そして、やってきた静寂。

平次の背中に細い腕がまわされたのは、それから少し後のことだった。

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