これも以前アップしてたもの。
Crying for
キレイなお月さんやった。
漆黒の闇の中で、ただひとつ光り輝く。
太陽の光を反射してるだけやなんて、信じられへんようなまばゆさ。
ぽっかりと、夜空に浮かぶその姿は、神秘的で。
そして儚かった。
まんまるなんに。欠けてるとこなんてないような満月なんに。
寂しそうに感じるのは、何でやろ。
ひゅるりと風が、アタシの頬を撫でていった。その冷たさに、きゅっと自分の足を抱え込む。
そっと、膝小僧に顔を寄せた。
春の夜風にさらされとった足はすっかりつめたなっとって。
そのひんやりとした感触に、思わず目を瞑る。
その瞬間、生暖かい滴が頬を伝って首に流れた。
―――そっか。
寂しいんは、お月さんやのうてアタシやったんや。
その満ち足りた姿を魅せつけられて。
飢えが、そして渇きが。
どうしようもないくらいに、アタシの心を侵食する。
言えない言葉。
訊けないキモチ。
失いたくない最後の絆。
せやのにアタシは、願うことをやめられへん。
いつか。
いつかきっと。
あのお月さんみたいに、満たされる日がやってくるって。
そう、ひそやかに自分を慰めて。
しんしんと照らす月明かりに手をかざしてみた。
アタシの手ぇに隠されて、見えへんようになったお月さん。
ぎゅっと握りしめると、何だか捕まえられた気がして。
ほんの少しだけ、頬が緩んだ。
「月なんか取れるはずないやろ」
アタシとお月さんと、二人っきりやったはずなのに。
聞こえるはずのなかった硬い声が、夜の静寂を引き裂いた。
「……なんで……」
ここにおるん、て言いたかったのに。
泣いたせいで水分を失ったのか、出てきた声はかすれとった。
唾を飲み込んでのどを潤してるうちに、近づいてくる侵入者。
「あれやな、まさしく“cry for the moon”やな」
月の明かりの下に姿を現した平次は、そう言ってかすかに笑った。
隣に腰掛けた平次の腕と触れ合うアタシの肩。
そこからじんわりと伝わるぬくもりに、ほっと息が漏れる。
「……何なん、それ」
「知らんのか? 月を取ってくれと泣く――つまり、ないもんねだりっちゅうことや」
―――ないものねだり。
その言葉は、しっくりと心に沁みてった。
ホンマにそうやね。
ないのに。
アタシが望む結末は、どこにも、いつになってもないのに。
それを期待し続けるなんて、ホンマにないものねだりや。
「こんな時間にこんなところで何しとんねん」
「……平次こそ。何でおるん」
「帰ってきたからに決まっとるやろ。結構長引いたなー今回は」
「無事解決したんやろ?」
「当たり前や…って、話そらすなや。お前ここで何しとんねん」
「別に」
「ふーん。別に、か……」
泣いとったくせに、と平次の指がアタシの頬をかすめる。
何でやろ。
何でこの男は、こんな時だけアタシに敏感なんやろ。
無性に悔しくなって、平次の指から逃げた。 指の行き場がのうなって、
平次の眉がほんの少し怪訝そうに歪む。
「お前、携帯は?」
「……家」
「ちゃんと持ち歩けや。携帯のイミないやんけ」
「どうせ、イミないもん」
「はぁ?」
どうせ、鳴ったりせぇへんから。
聴きたい声を、届けてなんてくれへんから。
少しでも、繋がっていたい。
そんな風に思ってるんはアタシだけなんや、て。
ただ思い知らされるだけの存在やから。
「どうせ、電話なんか…かかってけぇへんもん」
「かけたでさっき。何べんも」
「……さっきだけやん」
「なんや、オレの声が聴けんくて寂しかったんか?」
からかうような響きで。あっさりと、そんなことを言える平次と。
冗談でも、その言葉に頷くことなんて出来へんアタシ。
こんなに傍にいるのにアタシたちの間には確かな隔たりがあって、それを飛び越えることなんて
やっぱり無理なのかもしれへん。
不意に、隣にあった気配が消えた。
顔を上げると、アタシと向かい合うように地面にしゃがみ込んだ平次と目が合うた。
くっと、平次の口角があがる。
あ…アタシの好きな表情……
「しゃあないなぁ。寂しがらせた侘びに、ないものねだりな和葉ちゃんの願い、 いっこだけ叶えたってもええで?」
「………………」
「まぁさすがのオレでも、月は取ってやれへんけどな」
「………………」
「明日、どっか行くか?」
どうする? と、少し首を傾けながら訊いてくる平次。アタシは、無言のままに首を横に振った。
ちゃうよ、平次。
アタシの願いは、そんなやすいもんとちゃうんよ。
「ほな何や? 言うてみ」
……言えへんよ。
言うたら今まで大切に積み重ねてきたもん、あっという間に壊れてまうもん。
「和葉?」
ないものをねだって、今確かにあるものを失いたくない。
失いたくないんよ―――
平次のついたため息が、あたりに響いた。
「オレには、無理なんか」
え……
「オレやったら、和葉の願い、叶えられへんのか?」
アタシを射抜く、平次のまっすぐな視線。
この瞳に見つめられたら、逃れることなんか出来へん。
「なぁ。そうなんか」
ちゃう。
叶えられるのは、平次だけなんよ。
「和葉…黙っとったら分からんて。言えや」
ゆっくりと立ち上がった平次。
ベンチに座ったままのアタシは、自然と平次を見上げる形になる。
―――あ。
月が、見えた。
アタシを見下ろす平次の耳ごしに、さっき握り締めたお月さんがおった。
押さえ込んできた想い。
言葉にすることなく、ひっそりと願ってきたこと。
口にしてしもたら、もう元のアタシらには戻られへん。
でも。
もういいよって、言うてくれた気がした。
「好きに…って欲しい」
声が、かすれる。
それでもハッと息をのむ気配がして、平次の耳に届いたことが分かった。
「アタシが平次を想うくらい、平次もアタシのこと…好きになってぇな……」
吐き出された本音は、あたりを漂って静寂の闇にとけた。
逸らすことも、逸らされることもなく、繋がりつづける視線。
平次とこんな風に見つめ合うのは初めてかもしれへん。今の平次の瞳には、アタシだけが映ってる。
今夜が、最初で最後……?
そう思った途端、涙が込み上げてきそうになる。
くちびるを噛みしめて堪えていると、ふっと平次の表情がやわらいだ。
「さっきの、取り消すわ」
平次のくちびるは、はっきりとそう紡いだ。
確かに耳にそう響いたのに、頭の中ではうまく処理出来へんくて。
困惑するアタシをよそに、平次は笑っとった。その笑顔は無邪気でも強気でもなくて。
こんな風に笑う平次を見るのは初めてやった。
「ないものねだり」
え?
そう聞き返す間もなく、引き寄せられた腕。
無意識に身を引こうとしたけど、あっさりとアタシの頬は平次のTシャツに押し付けられた。
薄い布越しに、ほどよくついた筋肉の弾力が伝わってきて、顔が熱くなるのが分かる。
「へ、へいじ……?」
心臓の音がうるさい。
平次に聞こえてまうかも……
押し返そうにも、首と腰に回った平次の腕がそれを許さへん。
「ちょおじっとしとけや」
そうは言われても、こんなん心臓に悪すぎや。
それに。
期待してまうやんか。
「そんなん、願わんでも叶っとるわ……」
絞り出すような平次の声に、思わず顔を上げた途端。
あたたかい初めての感触がくちびるに降りてきた。ただ触れるだけのしめやかなくちづけが、
アタシと平次の熱をとかす。
そっと目をあけると、あのお月さんが笑っとった。
―――そっか。
アタシが望みつづけた結末は、なくなんかなかった。
暗すぎて、こころもとなさすぎて。見えへんようになってただけやったんや。
それを、明るい満月が照らしてくれた。
アタシはもう、ないものねだりなんかじゃない。
あの晩、平次越しに見たあの満月を、アタシは一生忘れない。